2009年11月8日日曜日

こばとのアダージェット・ファンタジー

ひとつとして同じ道はなく、どこから踏み出すのかでもそれは違う。
道はそれぞれに交わっているから、予想できない出逢いもある。
ただし、それは地球上に必ず存在している事実。
たくさんの道を歩くことは多くの物事を見ることが出来る。
そして、同じ道を毎日歩いていても新鮮な驚きもある。 --- 天宮ようこ




クラシック音楽を名曲として進められて聴き始めることが、誰もが最初のことだと思います。名曲入門とある本を参考にしても、その本の作者の存在はとても多いです。クラシック音楽の愛好家と自称している多く、いや、ほとんどが何らかの先達の導きに助けられています。
こばともそうです。


録音技術が発見されてから、数多くの演奏が残されているクラシックの名曲。1つの名曲には数多くのバリエーションがあるようなものです。出会い頭で面食らってしまう事も数多し。ミラーや標識があるととても良いし、地図を必要とすることは終わりそうにありません。
1つの名曲には、数多くの録音が存在してどれとして同じ顔をしていないので出逢うことはとても楽しい。マーラーの交響曲第2番「復活」だけを指揮して録音している演奏家が入るように、限られた完成のあった曲を色々と聴いてみることもクラシック音楽の楽しみ方。
ある演奏家の録音したものをひたすら追いかけるのも、何かを得ることが出来るものです。エリカ・モリーニはモーツァルトからブラームスまでと、レパートリーを限って14歳で生まれ育ったドイツを離れて、アメリカで60年間の演奏者生活を通しました。
その彼女でさえ、唯一例外的にクライスラーの曲は演奏会で取り上げています。
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンは、フルトヴェングラーが君臨していた頃は30歳代から40歳代の最も意欲と、向上心があった時代。その勢いをフルトヴェングラーは抑え続けた。レコード録音も制限があった時代でしたから、ある演奏家が1つの名曲をレコード発売すると、半年以上は同じ曲の発売は禁じられていました。
カラヤンが未知の曲や演奏を勉強するいい時期になりました。



カラヤンはほぼ10年間隔でチャイコフスキーの悲愴交響曲を録音して、現在7種類のレコーディング(映像は2種類)を楽しむことが出来ます。再発売や組み合わせ違いを除いても、900枚を発売しましたけれども、全集録音に至っていない作曲家もいますし、ショスタコーヴィチは第10番の交響曲だけをレコーディングしているだけ。このショスタコーヴィチの交響曲第10番は、カラヤンの名演奏十指から欠かせない録音で他に録音していないとは想像も出来ないでしょう。シベリウスの交響曲全集を探しているという相談を受けたこともあるなあ。
入門編に留まっていたクラシック音楽の名旋律集に、新鮮な可能性を投じたのが「カラヤンのアダージョ」でした。



モーツァルトはラルゴとアダージョにこだわった作曲家でした。モーツァルトの生きた時代の演奏家はこだわりが無くて早めに演奏されるのが嫌で、わざわざ異なる表現を使っていました。ラルゴ、アダージョ、アンダンテ。どれも「ゆっくりと」と日本語では表現されています。感覚的で、アレグロやヴィヴァーチェよりとても微妙な関係。それでいて面白い。
同じ曲を聞き比べる時の1つのキーワードです。こばとはアンネ=ゾフィー・ムターが演奏しているアダージョや、アンダンテ楽章がとても興味深く楽しんでいます。


今日は遅くなりましたけど、クラシックの60分は「こばとのアダージョ・ファンタジー」。曲の紹介はオフィシャルブログ(http://amadeusrecord.jugem.jp)で10回にわたって紹介していきます。明日の更新も遅くなります。














1 Comment:

  1. showBOO said...
    こんにちは。showBOOです。
    私は10年トロンボーンをやっていて、オーケストラも4年ほどやりました。
    一度ベートーヴェンの運命をやったことがありますが、
    小さいとき、一番最初に聞いたカラヤン+ベルリンフィルの運命があまりにも強烈すぎて(いや、オーソドックス過ぎて?)、
    他の録音の運命を聞いてもぴんと来ない耳になってしまいました(笑)

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